言語化への試み

4/30/2025. pen on washi paper mounted on board. 4”x6”

Twitterやらnoteやらで 作品の言語化というか 説明の様な事がしてみたいと思っているのですが、中々始める事が出来ていません。絵を描いてその中で好きなことを表現して、それがどのような誤解を受けても何とも思わないし、むしろ様々な人の様々なものの解釈が覗けるのならそれは楽しいことだし、どんなに誹謗中傷を受けても多分大丈夫なのですが、文章だと中々そうはいかないし、下手をすると大きな事故に繋がりかねないと結構本気で心配しています。

それでも時々、作品を見てくれた人へ作品の説明を試みようとする時や 見た人の解釈を聞いたりすると 新しい視点が生まれたりして楽しい事もあるので、このように言語化に挑戦してみようと思います。

まずは母国語である日本語で始めてみようと思います。出来たら週1ぐらいで、その週に描いた作品から1つピックアップしてそれについて語りたいと思います。

今回は2025年4月30日に描いた作品について。

この日の朝、僕の頭にあった事は何が本当で何が作り話なのか それをどうやって見分ければ良いのだろう?という事を漠然と考えていました。それぞれの研究や技術を積み重ねてきた人なら その分野で偽物が現れた時にそれは偽物であると気づく事が出来るような気がするのですが、ぼくもSSN上などでそれと分かる事が時々あります。ここでは具体例などについて言及する事はしませんが、そういったものに出くわしてしまった時に 頭に浮かぶのは、例えば, ひょっとしてあの動物レスキュー動画は あらかじめ猫をタールに放り込んでから カメラを回して助けている風の動画を作成しているのではないか?とか、あらかじめ亀を捕まえて、その鼻にストローをねじ込んでから それを取ってあげている風の動画を作成しているのではないか?とか でもそれは再生回数の獲得手法やエンタメの観点からみて 嘘も本当もへったくれもねえや。ということなのか?とか 

そんなことを思いながら出てきたイメージになります。

コメントや質問があったら是非。 日本語圏外の人はしばらくAI翻訳などで読んでみてください。 作品は毎日描いて投稿しているので気になったものがあったら 何時のものでも、質問などに答えてみたいなと思います。